王の周囲を彩る人々
オットー (1848〜1916) |
弟 | ルートヴィヒの弟。 1871年ころから精神病を発病し1873年よりニュンフェンベルク城に軟禁される。 1886年、国王即位(精神異常につきルイトポルト公が摂政に就く)。 |
カール=テオドール (1839〜1909) |
従兄弟 | オーストリア皇妃エリーザベトの兄。 ルートヴィヒより6歳年長で親しくつき合う。 |
カインツ(ヨーゼフ) (1858〜1910) |
俳優 | ハンガリー出身の俳優。 1881年、“マリオン・ド・ロルム”のディディエ役を演じたところルートヴィヒに気に入られ、召しだされる。ヴィルヘルム・テル縁のスイス旅行(昔俳優ローデも誘ったことがあるが断られている)など引きずり回された挙げ句、2ヶ月あまりで失寵。 『王がもう少し眠らせてくれたら・・』 ルートヴィヒに眠る間もなく引っ張り回されて。 |
グッテン(ベルンホルト・フォン) | 精神科医 | プロイセン出身。ルートヴィヒに退位を迫るため必要な精神病診断をする任務を負わされ、最終的に王と一緒にシュタルンベルク湖で水死。 『あの人はほんの子供だよ』 ベルク城に軟禁されたルートヴィヒを評して。 |
タクシス(パウル・フォン・トゥルン・ウント) | 副官付侍従武官 | レーゲンスブルク侯次男。 ルートヴィヒより2歳年長。1863年より副官付侍従武官としてルートヴィヒに側近く仕え寵を受ける。普墺戦争後の67年頃、歌手との結婚がもとで失寵。その後、タクシス家からも抜け、宮廷からも軍隊からも追われ舞台監督となるが、成功せず失意と貧困のうちに生涯を閉じる |
ツァンダース | 料理長 | ルートヴィヒお気に入りの料理人。 ベルク城に移送された後まで(監督官に任命され)付き従う。 |
デュフリップ(ロレンツ・フォン) (1820〜1886) |
王室秘書官 | プフィスターマイスターの後任。 ルートヴィヒの城造り資金に奔走し、力つき1877年に辞任。 『陛下、騙されておいでです!』 (ワーグナーとビューロー夫人の不倫事件での発言) |
デュルクハイム | 侍従武官 | ルートヴィヒ最後の教養ある側近で忠臣。 1886年6月、ルイトポルト公派ホルンシュタインらが王に退位を迫りに白鳥城に来たとき、王に呼ばれて駆けつけ、自らの危機も顧みず王を助けるために奔走する。 『王を捨てては戻れない』 陸軍大臣から王のもとより帰参するようにという命令に対し。 |
ニーマン(アルバート) (1831〜1917) |
歌手 | ハノーヴァ出身のテナー歌手。 1864年、ワーグナーのローエングリンを演じルートヴィヒの寵を得る。(しかしワーグナーからは無能の烙印)ハストン少佐の研究によるとルートヴィヒの最初の“お相手” |
ビスマルク(オットー・フォン) (1815〜1898) |
プロイセン宰相 | ドイツ帝国初代宰相。 大地貴族(ユンカー)出身。ルートヴィヒにプロイセンの田舎紳士と呼ばれ快く思われていなかったにもかかわらず、ルートヴィヒには好意的。鉄血宰相と呼ばれる。 『直ちにミュンヘンに行き、国民に姿を見せ議会で自らの利益を擁護されよ』 ルイトポルト公派クーデターの知らせを受けてのルートヴィヒへの助言 |
フォン・ヴァリコート | 侍従武官 | 1873年、ヴァリコートという名をフランス語読みするとブルボン風のヴァリクールになることが気に入られ一時寵を受けるが、朗読の最中に居眠りをしたかどでお払い箱になる。(その間約1ヶ月) |
プフィスターマイスター(フランツ=ゼーラフ・フォン) (1820〜1912) |
宮中秘書官 | ルートヴィヒ即位当時の秘書官。 ルートヴィヒから依頼された最初の仕事はワーグナー捜しだったが、当の本人は反ワーグナー。 『ワーグナーとは一体どこのワーグナーでございますか?』 (ルートヴィヒにワーグナーを捜すように言われて) |
プフォルテン(ルートヴィヒ・フォン・デア) (1811〜1880) |
バイエルン首相兼外務大臣 | ルートヴィヒ即位当時の首相。 プフィスターマイスターと共に反ワーグナーの急先鋒でワーグナーをバイエルンから追放する。 『陛下があの者(ワーグナー)との関係をお絶ちになると約束されなければ現職にとどまるつもりはございません』 |
ブリョスキー(リーラ・V) | 女優 | 1866年頃(当時28歳)メリー・スチュワートを演じて以来気に入られ、話し相手の一人となる。ブルネットでアルト声の、功名心の旺盛な女性。ルートヴィヒの母に疎まれる。 『青年(ルートヴィヒ)を誘惑する役回りは嫌だった』 |
ヘッセルシュバルト | 秘書 | リヒャルト・ホルニヒの後任。 平民出身。非常に頭が切れたが、プロイセン公使館員オイレンブルクに“どん欲で不誠実でむやみに精力的”と評される。ホルニヒと違い何かと政治に口を挟みたがった彼は影で“帝国宰相”と渾名された。 |
ホーエンローエ=シリングスフュルスト侯爵(クロードヴィヒ・V) (1809〜1901) |
バイエルン首相 | プフォルテン更迭の後、ワーグナーの推薦で1866年首相に就任(プロイセン派)。ルートヴィヒと信頼関係を保つ。 『陛下、リヒャルト・ワーグナーの帰朝をお約束します』 |
ホッペ | 理髪師 | お気に入りの理髪師で、ミュンヘン情報はホッペ・ルートでルートヴィヒの耳に伝わった。 |
ホルンシュタイン伯爵 (マクス・フォン) (1835〜1895) |
王室執事(主馬寮長官) | ルートヴィヒの信頼を得、王の私的な用事なども任されていたが、後に不興を買い遠ざけられる。1871年ドイツ帝国成立に先立っての『皇帝書簡(ドイツ帝国皇帝にプロイセン国王を推薦する書簡)』を書かせるための説得役を努めたり、1886年国王廃位にするためのクーデターの首謀者的役割を果たす。陽気で魅力的な性格。清濁合わせ飲むタイプ。 |
マリア・アレクサンドロヴナ | ロシア皇后 | ルートヴィヒが親しみを感じた女性の一人。20歳年上 |
マリーダーン=ハウスマン | 女優 | 家族ぐるみのつきあい。15歳年上。ルートヴィヒと心の繋がりを持つ |
マイルハウス(シビル・フォン) | 乳母 | 後のフォン・レオンコート男爵夫人。ルートヴィヒ9歳まで乳母を努め、その後も彼女が死ぬまで交流を保つ。 |
ルイトポルト公 (1821〜1912) |
叔父 | ルートヴィヒ逮捕後、摂政の位につく。控えめで誠実な性格。(慎重なところが策略家と人の目は映ったのかも知れない) |
ローデ(エーミール) | 俳優 | ヴィルヘルム・テルのメルヒタールを演じ、テル縁のスイス旅行に王から誘われるほど気に入られる。 |
ド・ラ・ローゼ伯爵 | 王子養育係 | 養育係フロイライン・マイルハウス(レオンコート男爵夫人)の後任。フランス出身の軍人。謹厳実直で現実的。ルートヴィヒと正反対の性格の持ち主だったと思われる。 |