〜我が魂の愛するもの、リヒャルト〜


リヒャルト・ホルニヒ
北ドイツ・メクレンブルク出身
主馬寮馬丁長官兼ルートヴィヒU私設秘書兼・・ 


1867年5月6日。オーストリア皇妃エリザベートの妹、ゾフィ公女との婚約中のルートヴィヒは金髪碧眼の美しい馬丁を見いだす。名をリヒャルト・ホルニヒ。  

欧州で最も若く美しい王、アドニス、ローエングリンと呼ばれ女性たちの憧れの的であったルートヴィヒの同性愛的嗜好を完全に目覚めさせ、ゾフィ公女との結婚を断念させる遠因ともなった美貌の馬丁ホルニヒは、この時王より4つ年上の25歳。 王の寵愛を受け、リンダーホフの『越え難き柵』を越えて王の寝台に上った多くの美青年の中でも、最も長く側に侍することになる。 


 
『私たちがはじめて出会い、死に至るまで別れぬこととなった記念すべきあの日、1867年5月6日の5回目の記念日まであとちょうど2ヶ月・・・・・』
                

ルートヴィヒ記す


聡明で寡黙、忠実にして献身的なリヒャルトは他の者のように王の寵愛を利用することもせず、臣下としての身分に徹し、変わることなく一途に王に仕え、ルートヴィヒの愛と信用を勝ち得る。


『リヒャルトに会い、知るようになって10年経つ。
再び堕落する危険はこれを最後にしたい・・・・・。
二度と再び欲望を抱き動揺を感じることのないよう・・・・。
10年前の1867年の良き日の思い出に』
 

ルートヴィヒ記す




リヒャルトは確かにルートヴィヒの愛する者であったが、また同時に忌むべき対象であったのは王の死の数日前まで記されていた日記によって知れるところである。

死ぬまで離れぬと誓いあったリヒャルトが王から退けられたのは王の謎の入水の前年、1885年・・・・・・

そしてルートヴィヒの死の当日、
リヒャルト・ホルニヒがシュタルンベルク湖に船を浮かべ行きつ戻りつしていたという目撃証言を最後に、彼の姿をめぼしい記録から見失う。



  『ホルニヒこそ王の快楽であり苦悩であり罪であり悔恨であった・・・・・』

               澁澤 龍彦 記す








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