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「我が城は神聖なり。民衆の目に触れさせてはならぬ。
 
彼らの目は神聖さを汚し、貶めることとなろう」

 



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 白鳥城〜ノイシュバンシュタイン城〜 
 
 
 1868年 ワーグナーへの手紙で築城の決意を語る。
設計:主任建築士(宮廷建築技師)リーデル、
スケッチ:王宮劇場舞台装飾画家クリスチャン・ヤンク

 1854年 宮廷書記官(王室秘書)デュフリップ建築費用工面担当

 1869年 定礎式 正式名「ノイホーエンシュバンガウ城」(ノイエ・ブルク・ホーエンシュバンガウ)
ノイシュバンシュタイン城は王の死後命名された名称。

 1871年 城間部屋根完了

 1872年 74年に定年するリーデルの後任としてゲオルグ・ドルマン就任

 1873年 城間部完成

 1880年 本館粗構造完成。内装指揮、ヤンクからホフマンへ

 1881年 居間部粗構造完了

 1884年 建築技師ドルマンからユリウス・ホフマンへ

 1886年 城間部、居館部完成。騎士館、回廊部は粗構造だけ、南側婦人館、天守閣部は基礎工事だけ。全体としては未完成に終わる
 


 1945年 (敗戦寸前でヤケっぱちになった)ヒトラーの「焦土作戦」で爆破命令。爆破より先にヒトラーの自殺により無事に終わる。
 







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〜リンダーホフ城〜  王の生前、唯一完成を見た城 
 

 ルートヴィヒ調ロココ様式。
マリー・アントワネットの離宮、プチ・トリアノンの模倣、余すところなくルートヴィヒのブルボンおたくぶりが発揮される。
1929年発行の旅行案内書評「今日の趣味からするといかがわしい飾りすぎ」
 
1870年 リンダーホフ城定礎式
主任建築士:ドルマン。他ヤンク

 1872年 入居可能

 1876年 城館完成

 1879年 庭園、全施設完成
 







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〜ヘーレンキームゼー城〜 滞在期間1885年9月7日〜16日
 
1864年、ホルンシュタイン伯らとパリに滞在したとき、インスピレーションを得る。ベルサイユ宮殿の模倣。
主任建築士:ドルマン 設計図を11回描き換えさせられる。

1873年 ヘレンインゼル島購入

 (→1877年、建築費で首が回らなくなり秘書官デュフリップ辞任)

1878年 ヘーレンキームゼー城定礎式
 (→工費削減のため石材の多くが間に合わせの代用資材となる)

1879年 鏡の間着工。 

1885年 鏡の間完成、シャンデリアに1848本の蝋燭を灯し一晩中徘徊。

1886年 王の死により工事中断。



 
 〜ファルケンシュタイン城〜 幻の城
 
ゴシック様式(の予定)
白鳥城、王座の間に飾られている「ドラゴンと戦う聖ゲオルグ」の背景に既に描かれている。
 
1883年 主任設計士:ドルマン、プラン(計画):ヤンク 

1884年 ドルマン、倹約第一主義の設計で不興を買い辞任。
    城跡を買い取りホルニヒを介してタクシス家の建築士マックス・シュルツェに設計依頼

1885年 シュルツェ、王の注文の多さに辟易して辞任。後任・ホフマン、ドロリンガー。
実現不可能な築城計画とみて好き放題な設計を作る。

1886年 王の死により計画とん挫。
 
 
ルートヴィヒの夢の城は本人の願い虚しく、王の死の2ヶ月後から
一般公開され入場料で建築負債を返済することになる。







 〜ホーエンシュバンガウ城〜

ルートヴィヒが幼少期〜少年期を過ごした城





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